名古屋大学大学院
医学系研究科
細胞生理学 教授 久場 博司
混沌とした情報をもとに、新しい分野を開拓する。これが、研究の最も面白いところではないかと思っています。まだ誰も取り組んでいないことを自分で立てた仮説と実証でもって明らかにしていくのです。うまくいけば、若くても頂点に立てるということに魅力を感じて、研究の世界に入って来る人は少なくないと思います。
チャレンジングな研究生活。でも、トライ&エラーの繰り返しの中で心が折れそうになることもあります。そこで支えになるのが、研究室(ラボ)であってほしい。ラボは研究するためだけにある訳ではありません。学生時代のクラブ活動のように、チームプレーによって相手を救い、自分も救われる。人間関係が良好ならば、人と人とが相乗効果を発揮していい研究ができるでしょう。私は2週間に1回個人面接を行ってラボのメンバーの進捗を確認したり、アドバイスを行っています。若い人たちの悩みや横のつながりはどうなのか、把握したいと思っているからです。緊張感と仲の良さ。若い「第一人者」を育てるために、ラボを運営する上で常にそんなことを意識していたいと思っています。
私の"研究人生"をお話しする上で欠かせないのが、ハーバード大学医学部にあるDana-Farber癌研究所時代です。私が最も鍛えられた期間と言えるでしょう。この期間に私は「RET癌遺伝子」を発見しました。その研究内容からrearranged during transfection=RETと名付けられた癌遺伝子。2つの遺伝子が組み換え(遺伝子再構成と呼ばれる)を起こし、癌遺伝子として活性化されることを実験的に証明した初めての例となりました。
私は1983年Dana-Farber癌研究所のGeoffrey M.Cooper研究室において、新たなヒト癌遺伝子の探索を開始しました。時代背景としては、1970年代に入り、分子生物学の発展とともに遺伝子操作技術の開発が急速に進みました。この技術開発を基礎にして、1970年代後半にヒト癌細胞から癌化に関わる遺伝子を直接分離しようとする野心的な試みが米国の複数の研究室で開始されました。つまり、私が渡米した頃は、混沌とした中にあった癌研究が癌遺伝子oncogeneをキーワードに驚くべき展開が始まる幕開けとなった時代なのです。私自身はちょうどその時期に留学する機会を得て、黎明期に合った癌遺伝子研究に参画するチャンスに恵まれました。しかしながら、当時はまだ動物実験しか行ったことがなく、分子生物学的実験の経験は全くありませんでしたから、毎日が格闘でした。DNAの精製を皮切りに、全ての実験において、ひとつひとつ手技を覚えていきました。当時その研究室でも分子生物学の手技に精通しているポスドクは少なく、実験でトラブルに陥るとなかなか抜け出せないこともありました。そのような状況の中で、新規のヒト癌遺伝子を発見できたことは幸運であったと思います。
※ 病理と臨床・別刷 2011 vol.29 no.12 東京/文光堂/本郷 1367-1368参照
アメリカ時代、研究室の雰囲気は自由でした。管理されないというか、自分でオリジナルを追求できる環境であったと思います。考えてみれば、研究そのものも決まった方針と言うのはありません。個人のアイデアや価値観が花開く、と言えばいいのでしょうか。先に私は、ラボを運営する上で、人間関係を大切にしたいと言いましたが、個人のアイデアを他人の意見を取り入れながらいい方向に転がせると良いのではないかと思います。課題に対して、いかに深く、面白い方向に掘り下げることが出来るかが勝負です。「この課題が与えられているから」という使命感ではなく、「この課題をどう深めていこう」というワクワクした感覚を持ってやれるといいですね。
ラボで過ごす魅力をお話ししてきましたが、やはり基礎医学研究という分野においては「医療に貢献できる」というところが大きいと思います。何のための研究をしているのかが分かりづらいと、モチベーションが上がらないこともあるかと思います。私たちの研究の場合は、それがないんですね。病気に常に触れている実感があり、研究対象が、やがて診断や治療の現場に活かされるというのは大きなやりがいです。医師免許を持って医師として患者さんを診るのも一つの道、医師免許を持って研究者として病気を追究するのも一つの道です。ぜひ、「なぜこうなるのか?」という素直な気持ちと楽しむ気持ちを持って、意気揚々と研究の世界に入ってきてほしいと思います。